この頃から、シャネルの作ったジャージー素材の服がアメリカ女性の間で大人気を呼んだり、香水のシャネルNo.5とシャネルNo.22を発表したり、当時 喪服としてしか着られなかった黒いドレスをシャネルがモードに取り入れ流行になったり、ツイード素材のシャネル・スーツを発表したりと、一躍ファッション 界のリーダーになります。
彼女はよく自分で「生まれるのが20年早すぎた」と話していたそうですが、きっと何時の時代に生まれてもココ・シャネルは時代の最先端に位置していたに違
いありません。第2次世界大戦が勃発したため、ナチスドイツの将官と恋仲にあったココ・シャネルは、アクセサリー部門と香水を残し、パリ解放後にカンボン
通りの店を閉めジュネーブに向かいます。
シャネルがフランスに戻ったのは15年後の1954年、71歳のときです。その後もバイカラーの靴やマトラッセのバッグなどを発表し、時代をリードし続けましたが、1971年1月10日、ココ・シャネルは87年の生涯を静かに閉じました。
その後のシャネルブランドは、1983年に主任デザイナーに就任したカール・ラガーフェルドの下で、ココ・シャネルを追悼した香水「ココ」や男性用オー
ド・トワレ「エゴイスト」の発売、腕時計部門やジュエリー部門のスタート、トラベルラインの発表など、引き続き着実な発展を遂げていきます。
日本でもシャネラーブームを経て、2004年12月4日には大きなシャネル銀座店がオープンしましたね
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